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今日はこどもの日の振替休日。といっても子どもはとっくに巣立ってしまって、家の中はしんとしている。嫁さんが「スーパーで半額になっとったで」と袋からかしわもちを出してきた瞬間、なんだか胸のあたりがじわっとした。年をとると、食いもんひとつでいろいろ思い出してまうんだよな。
子どものころ、うちは中川区の古い住宅地にあった。母親が毎年5月5日になると、どこで買ってくるんか知らんけど、葉っぱのついたかしわもちを重ねて皿に盛ってくれとった。あの葉っぱのいいにおいがするんよ。青くさいような、森の中に紛れ込んだような、不思議なにおい。子どものころはそのにおいが苦手で、葉っぱを剥がすのに一生懸命やったけど、今になって思えばあのにおいがかしわもちの「本体」やったんじゃないかと思う。
かしわもちって、関東と関西で中の餡が違うって話を聞いたことがある。味噌餡というのが名古屋っぽいって言われるけど、うちの家ではずっと粒あんやった。母親が味噌餡を買ってきたことは一度もなかった気がする。名古屋飯の代表みたいに言われる味噌カツや味噌煮込みは大好きやけど、和菓子に味噌を使うのはなんとなく敷居が高い感じがして、いまだにあんまり食べたことがない。今度、大須あたりの和菓子屋でちゃんとしたやつを食べてみようかな。
そういえば、端午の節句って、うちの家ではそんなに派手にやらんかった。鯉のぼりは出してたけど、小さいやつ。ベランダに飾るプラスチックのセットみたいなやつで、ご近所の瓦屋根の上に大きな鯉のぼりがたなびいとるのを見上げながら、なんとなく羨ましかった記憶がある。子どもの日って、男の子の日やろ——なんで天気ええのに外で遊ばなあかんのやってなって、結局夕方まで家でゲームしとったな。
息子が小さかったときは、さすがにちゃんとやらなあかんと思って、かしわもちを買いに行ったり、兜を飾ったりしとった。でもあいつが中学生になったくらいから「もういらんわ」みたいなそぶりをしはじめて、それからだんだん行事がフェードアウトしていった。今は息子も東京で働いとるし、連絡もたまにしかこやへん。
かしわもちを食べながら、嫁さんと二人でテレビを見た。特番みたいなやつで、子どもの日のスペシャルらしいけど、出てくるタレントの顔があんまりわからん。いつのまにか自分が「知らん世代」になっとるんやな。でもそういうのも、まあええかと最近は思えるようになってきた。
かしわの葉は「新芽が出るまで古い葉が落ちない」から、家系が途絶えないという縁起をかついどると聞いた。そういう意味が込められた食べもんを、なんとなく食べてしまっとるわけや。ありがたみも何もわからず、ただ「甘くてうまい」で終わる自分みたいなおっさんのために、それでも毎年ちゃんとかしわもちは売り出される。和菓子屋も悠長なもんやと思う——いや、それが伝統というもんか。
もちの柔らかさがちょうどよくて、餡の甘さもくどくない。葉っぱのにおいを吸い込んで、ゆっくり噛んでいると、子どものころの川沿いの風のにおいとか、母親の声とか、なんかそういうもんがぼんやりと浮かんでくる。
年に一回のことやから、もうちょっとありがたく食べなあかんな——と思いながら、二個目に手を伸ばした。


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